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なぜ日本人は落合博満が嫌いか?

 

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燃えよドラゴンズ!

 

私は名古屋出身で、全盛期と呼ばれる落合政権時代の中日を球場で見ていた世代である。

 

 

また野球から興味を失って久しいが、当時は本当に熱狂していた様な気がする。

あくまで気がするだけかも、、、

アライバコンビに福留、和田、ウッズ、川上なんかは今でも強烈に印象に残っていて、サインもいまだに飾っているくらい。

今では大して興味のない野球に、何故当時あれだけハマっていたかというと、ひとえに言って強かったの一言に尽きると思う。

今弱すぎ!!!

 

 

小学生の身からしたら仕方の無い事ではあるが、監督の事など選手に比べ注目していなかった。しかし、いつも不思議に思っていたのが、何故みんな落合監督の事が嫌いなのだろうか?という事である。

 

 

本タイトルは、同名の本をテリー伊藤が書いていたのを図書館で見かけ、懐かしさの余り書いてしまった次第であるが、因みに私はテリー氏はあまり好きではない。

 

 

それは置いておいて、まず監督時代の成績ですが、日本一1回、リーグ優勝4回、2位3回、3位1回です。監督として文句無しの成績と言えるだろう。

 

 

素晴らしい成績を収めているのに何故嫌われているか?

当時私の周りにも落合嫌いは大勢いた。

必ず取り上げられるのが、2007年日シリにおける完全試合目前の継投だろう。

この点においては私もややどうかと感じるが、落合監督の「あそこで負けるわけにはいかなかった。自分が最善と思う采配をしたまでだ。」という言い分も分からないわけではない。やっぱりスポーツは結果がすべてなところがある。

テリー伊藤はこう分析する。落合は勝つ事以外のファンサービスの軽視、マスコミ冷遇による偏重記事。

だがそれ以上に一番大きな点として日本人の幼稚化を挙げている。

 

 

テリー氏の言う幼稚化とはどの様なことかというと、食べ物はコンビニとハンバーガー、洋服は20を過ぎても10代と変わらずファストファッションで揃える。音楽も映画も小説も漫画も説明的でわかりやすいものが求められていく。話題になれば皆が食いつき自分の頭で良し悪しを区別することを避けて生きている。

 

 

そんな中、落合監督は、群れず、媚びず、黙って信念を貫く。不気味なほど寡黙に勝負して勝つ。

山井の采配や、WBCへの派遣問題、選手のトレードに関してもそうだが、兎に角本人が良いと思った事を断行する。

そしてそこに説明は無い。この分かりにくい態度こそ一番の理由で、真意を汲み取ることの出来ない日本人の幼稚さを大きく取り上げている。

パスカルがパンセの中で謳った事は今や昔。。。

 

 

上記の批評は手放しに賛成するものでは決してないが、現に日本人という集団の中では落合監督は評価されない。いや出来ない。この点は大きな問題かと思う。

 

 

古き良き日本の迸るパワーを現代日本は熱苦しいだとか、古臭いだとか一顧もせず切り捨てる風潮が存在する気がする。私はまだ若いし、古き良き日本像は伝え聞いたものでしかない。

そして情報化の時代にあって目立たなかった阿呆が目立つ様になったというのも勿論あると思うが、

日本を含め世界的に精神年齢の低いまま大人になった人間が今多く見られる気がする。

 

 

この間のW杯ポーランド戦の的外れで、無知なパス回し批判に通ずるものがあると感じるのは私だけだろうか。日本人の性格の変化は自分の感じるところでもある。

また現中日の体たらく落合元監督は何を思っているのか。。。